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      <title>0472	円尾エステ	君のいつもまじめな日記</title>
      <link>http://jacket.blog-house.org/</link>
      <description></description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2009</copyright>
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         <title>ユビキタスという言葉</title>
         <description><![CDATA[ラテン語の宗教用語であり、「神はあまねく存在する」という意味である。1991年に米ゼロックス(XEROX)社パロアルト研究所のMark Weiserが論文(The Computer for the 21st Century)に発表したのが最初といわれている。このとき彼は、ユビキタスという言葉の持つ『神の遍在』という意味を込めたわけではなかった。究極のインタフェースの理念は、それが何台のコンピュータであるとか、どのように接続されているかといった事象とは別の概念であることを強調したのだった。後に『遍在』という言葉が独り歩きしてしまったため、Weiserは"Calm Technology"という言葉を使うようになった。 
日本におけるユビキタスの萌芽(TRON) 
Mark Weiserのユビキタス論文より数年前の1984年に、坂村健(当時東京大学助手、現教授)はTRONプロジェクトを起こした。これが日本におけるユビキタスの始まりとされている。 
TRONでは、電脳住宅などユビキタス社会につながる実証実験が行われた。 
日本におけるユビキタスの変遷 
坂村健は、TRONプロジェクトで電脳社会を実現するものとして、『どこでもコンピューター』という考えを提唱した。これが、「ユビキタス・コンピューティング」という言葉が日本に入ってきたときに受け入れる下敷きとなり、現在でもユビキタス社会を表現する言葉のひとつとなっている。国立国語研究所では、ユビキタスを表現する言葉として、「時空自在」と言い換える提案がなされたが、『時空を飛び越えて、どこにでも行くことができるタイムマシンのようだ』との批判が多く、現在も検討中となっている。最近では、「ユビキタス」を表わす言葉として『いつでも、どこでも、だれでも』という言葉が、ユビキタスと共に使われることが多い。 
「ユビキタス」に関する規格化、標準化 
「ユビキタス」の厳密な定義は、ユビキタスに関するコンソーシアム、各研究機関、政府機関で検討、提案されてきたが、規格化されてはいない。 
世界標準機構であるW3Cでは2006年、「ユビキタス」に関するワークショップを設立し、国際基準の規格化に乗り出した。 

※ユビキタス(Ubiquitous)とは、それが何であるかを意識させず(見えない)、しかも「いつでも、どこでも、だれでも」が恩恵を受けることができるインタフェース、環境、技術のことである。 ユビキタスは、いろいろな分野に関係するため、『ユビキタスコンピューティング』、『ユビキタスネットワーク』、『ユビキタス社会』のように言葉を連ねて使うことが多い。現在「ユビキタス」の厳密な定義は出されていないが、標準化団体であるW3Cでは2006年、「ユビキタス」に関するワークショップを設立し、国際基準の規格化に乗り出している。2007年4月には、日本での活動が展開されている。


『ウィキペディア（Wikipedia）』引用
「ユビキタス」の厳密な定義は出されていないようです。

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         <pubDate>Mon, 02 Nov 2009 14:23:15 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>円尾エステ 君のいつもまじめな日記梅の原産</title>
         <description><![CDATA[梅は中国が原産みたいです。

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梅は中国が原産であり、漬物も多く作られている。紀元前200年頃のものという馬王堆からも、梅干しが入っていたと考えられる壷が出土している。これが日本に伝えられた。また、梅酢は金属の鍍金やはんだ付けのためにも用いられた。東大寺の大仏に金を鍍金する際にも使われたという。梅酢は青酸が登場する昭和中期まで大量に使われていた。

平安時代
平安時代には村上天皇が梅干しと昆布茶で病を治したという言い伝えが残っている。また、菅原道真が梅を詠んだ短歌は有名で、後に「釣りのときの弁当に梅干しを入れると、魚が釣れなくなる」という縁起かつぎを生んだ。

戦国時代
武士の時代になると梅干しは保存食としてだけではなく、傷の消毒や戦場での食中毒、伝染病の予防になくてはならないものとなった。合戦の前に梅干しを見ることで息切れを防ぐ目的にも使われた。梅干しは戦略物資の一つとなり、武将たちは梅の植林を奨励した。これは現在でも梅の名所や梅干しの産地として残っている。かの上杉謙信も酒の肴に梅干しをよく取っていたと言われる。


 江戸時代
当時の銀山では、坑内に立ちこめる鉱塵（こうじん）による粉塵公害「けだえ」が問題であった。備後国の医師宮太柱は数々の「けだえ」防止の装置を発明したが、鉄の枠に梅肉を挟み薄絹を張った防毒マスク「福面（ふくめん）」は、酸の効果で鉱塵を寄せつけず効果が絶大だったという。これがきっかけとなり後年、坑夫たちの家族によって梅紫蘇巻という食品が生み出された。

引用『ウィキペディア（Wikipedia）』]]></description>
         <link>http://jacket.blog-house.org/2009/01/post_6.html</link>
         <guid>http://jacket.blog-house.org/2009/01/post_6.html</guid>
        
        
         <pubDate>Fri, 09 Jan 2009 18:43:26 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>増鏡</title>
         <description><![CDATA[これも鏡のひとつですかね？

増鏡（ますかがみ）は、歴史物語。成立は南北朝時代と推定される。作者は未詳だが、二条良基説や洞院公賢説、四条家関係者説などがある。いわゆる「四鏡」の成立順では最後に位置する作品である。内容的には最も新しい時代を扱っている。

現在のものは二十巻からなり、『弥世継』（現在亡失）を継承して、寿永二年（1183年）の後鳥羽天皇の即位から元弘三年（1333年）後醍醐天皇が隠岐に流され、その後、京都に戻るまでの、15代150年の事跡を編年体で述べている。

嵯峨の清凉寺へ詣でた100歳の老尼が語る昔話を筆記した体裁をとっている（ただし、現存の本においては尼は最初の場面だけの登場になっていることから、当初は他の「四鏡」と同様に尼が登場する最後の場面が書かれた部分が存在していたとする説もある）。 典雅な文体で公家の生活が描かれた文芸味豊かな作品である。

巻数については古くは十七巻本と十九巻本が存在していた。俗に前者を「古本」・後者を「流布本」と読んで区別している。両者の違いは物語の中盤あたり（後嵯峨天皇の即位後からその院政期）の記述が大きく違っているところにある。通説では前者を増補改訂して後者が作られたと考えられているが、後者の方が先に書かれて後に様々な事情によって一部が削除したものが前者だとする説もある（ちなみに年代の錯簡は後者の方が少ないと考えられている）。いずれが先であったとしても14世紀末には既に2種類の『増鏡』が存在したようである。なお、現在存在する二十巻本は幕末期の校訂成果を元に明治時代に和田英松らが2種類の矛盾を無くすべく校訂しなおしたものであり、国文学の研究家の間では古典作品に対して必要以上に手を加えた行為であるとして批判する声も強く、今日では十七巻本・十九巻本を元に研究が行われるのが一般的である。
（以上、ウィキペディアより引用）

こんなのもあったんですねー。

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         <pubDate>Thu, 13 Mar 2008 10:31:10 +0900</pubDate>
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      <item>
         <title>ケプラーの法則</title>
         <description><![CDATA[どんな法則なんだい？

ケプラーの法則（-ほうそく）は、1619年にヨハネス・ケプラーによって解明された惑星の運動に関する法則である。

ケプラーは、ティコ・ブラーエの観測記録から、太陽に対する火星の運動を推定し、以下のように定式化した。

第1法則 : 惑星は、太陽をひとつの焦点とする楕円軌道上を動く。 
第2法則 : 惑星と太陽とを結ぶ線分が単位時間に描く面積は、一定である（面積速度一定）。 
第3法則 : 惑星の公転周期の2乗は、軌道の半長径の3乗に比例する。 
先に、第1法則および第2法則が解明されて1609年に発表され、後に、第3法則が解明されて1619年に発表された。

第1法則は、惑星の軌道が円ではなく楕円であることと、太陽の位置は楕円の中心ではなく焦点の1つであることを述べている。また、惑星の軌道が太陽を含む一平面上であることも暗に意味している。後のニュートン力学では、中心力の作用する2体問題の解として、束縛運動であるならば楕円運動になることが示される。 楕円運動の発見のエピソードとして、 当時、惑星の運動は円であると信じられていたが、それに従わない火星のデータをティコ・ブラーエが困ってケプラーに担当させたため、との話がある。

第2法則は、太陽に近いところでは惑星は速度を増し、太陽から遠いところでは惑星は速度を落とすことを意味している。ニュートン力学では、角運動量保存の法則に対応する。

第3法則は、公転周期の長さは楕円軌道の長半径のみに依存して決まることを意味する。楕円軌道の離心率に依存しないので、楕円軌道の長半径が同じであれば、円運動でも楕円運動でも周期は同じになる。この法則も後のニュートン力学で導くことができる。

ケプラーの法則に従う運動をケプラー運動ともいう。

ケプラーの法則は、天動説に対する地動説の優位を決定的なものにした。コペルニクスによって地動説が唱えられて以降も、地動説に基づく惑星運動モデルは従来の天動説モデルと比べ、実用上必ずしも優れたものではなかった。しかしケプラーの法則の登場により、地動説モデルは天動説モデルよりもはるかに正確に惑星の運動を記述することが可能になった。

また、惑星の軌道を楕円形であるとした第1法則は、天体は真円に基づく運動をするはずであるという古代ギリシア以来の常識を打ち破るものでもあった。

アイザック・ニュートンは、自分が発見した運動の法則と、このケプラーの法則などを元に万有引力の法則を導き出した。一方、ケプラーの法則は万有引力の法則を、惑星のポテンシャルエネルギーと運動エネルギーの和が負である（すなわち、惑星が無限遠まで飛んでいかない）という条件の下、太陽の質量に比べ惑星の質量が十分小さい（すなわち、太陽は静止していると見なせ、惑星間の相互作用は無視できる）という近似を行って解くことによって導くことができる。ケプラーが太陽系の惑星の運動について述べたことは、ある質点とその周囲を回るそれに比べて十分に質量の小さな質点という、2つの任意の質点間に対しても同様に成り立つことが分かる。

従って、ケプラーの法則は、太陽と惑星の間だけでなく、惑星と衛星（あるいは人工衛星）などの間でも成立する。

なお、第2、第3法則は二つの質点の質量が同程度でも成立する。このことから、第3法則と万有引力の法則を利用して連星系の主星と伴星、太陽と惑星、二重惑星、惑星と衛星などの質量の和も求めることもできる。
（以上、ウィキペディアより引用）

そんな法則よく考えますよね…。

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         <link>http://jacket.blog-house.org/2008/02/post_4.html</link>
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         <pubDate>Tue, 12 Feb 2008 10:18:56 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>最近復活しましたね！</title>
         <description><![CDATA[相変わらず歌うまいです！

米米CLUB（こめこめクラブ、英Kome Kome Club）は、日本の音楽バンド。略称は 米米（こめこめ）、K2Cなど。1982年、文化学院の学生だった石井竜也、小野田安秀、大久保謙作、得能律郎らが中心となり結成され、1985年10月にレコードデビュー。ダンサーチーム「SUE CREAM SUE（シュークリームシュ）」、ホーンセクション「BIG HORNS BEE（ビッグ・ホーンズ・ビー）」、また多くのサポートメンバーを伴う大所帯バンドである。1997年3月に解散コンサートを行い活動を停止したが、2006年4月に再結成。所属レコード会社はソニー・ミュージックレコーズ。

音楽的にはファンク、ニュー・ロマンティック、落語、ロック、歌謡曲、フォークなど雑多な要素を融合したもので、特に江戸落語の影響を強く受けた石井のステージングはバンドの個性となっていた。またコンサート中盤にジェームス小野田の登場シーンを設定する構成も独特で、毎回工夫が凝らされた小野田登場はコンサートのハイライトとなった。

再結成
2005年6月16日、古くから親交のあるCharの50歳のバースデーパーティーを開催するに当たり、Charの息子であるRIZEのJESSEが、「サプライズで米米をやってほしい」と石井やメンバーに頼み、石井もCharに恩返しするという意味も込めて久々に演奏することになった。その際バンド名を「米米米CLUB」とし楽曲を演奏。10月21日にはデビュー20周年の日にファン投票によるリクエストベストアルバム『米 〜Best of Best〜』がリリース。その頃から石井がテレビやラジオの番組に出演した際、「米米に関して何か企画している」というような発言が聞かれるようになった。2005年12月には青山のライブハウスでシュークリームシュの一夜限りの復活ライブが行われ、米米CLUBのメンバーがバンドとして出演した。また、特別ゲストとして小野田が出演し、往年のヒット曲を歌った。

これらのことから「もしや復活するのではないか」と一部ファンの間で話題になっていたところ、2006年3月21日、石井のソロライブで米米CLUBのマスコットであった「ダブルドリブル」が登場し、「米米CLUB、はじめます！」と宣言。翌日午前0時丁度に公式サイトが立ち上がり「2006年4月1日から活動開始」との発表があった。後期にバンドを去った得能・坂口も参加しての再結成となり、当初10月まで期間限定の活動と告知された。もう決して若いとは言えなくなったメンバーたちの「もうひと弾けしたい」という気持ちが再結成につながったという。その後3ヶ月連続のDVD付きシングル発売、大規模アリーナツアーなどを発表する。各シングルは全てオリコン10位以内を獲得、ツアーチケットも全公演完売するなど大きな話題となった。

そうした反応にメンバーが手ごたえを感じ、10月22日に横浜アリーナで行われたツアーの最終日には石井自ら期間限定を撤回し、活動を継続することを発表した。公式サイトには10月22日付で「米米CLUB」名義の期間限定解除への経緯と解散撤回の決意を示すコメントも載せられ、翌年9月5日には再始動後初となるオリジナルアルバム「komedia.jp」を発売、オリコンチャート10位を記録した。なお、この解散撤回宣言は「ソロ活動はしない」という意味ではなく、石井をはじめとする各メンバーのソロ活動も継続して行うとしている。

2007年の第58回NHK紅白歌合戦に第47回以来11年ぶりに出場。
（以上、ウィキペディアより引用）

去年紅白出たんですね！何歌ったんですか！？

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         <pubDate>Tue, 08 Jan 2008 10:39:33 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>花粉症の始まり</title>
         <description><![CDATA[かなり前からあったんですね。
意外すぎでした。

日本においては、1960年代に次々と報告されたブタクサ、カモガヤ、スギ、ヨモギなどによるものが花粉症の始まりである。しかし、その正確な出現時期は判っていない。

たとえばスギ花粉症の発見者である斎藤洋三（当時は東京医科歯科大学所属）は、1963年に鼻や目にアレルギー症状を呈する患者を多く診察したのが花粉症に気付くきっかけとなったというが、過去の記録を調べ、毎年同時期に患者が急増することを確認している。また、1989年に65歳以上の耳鼻咽喉科医師に対してアンケートを行った結果、初めてスギ花粉症と思われる患者に接したのは1945年以前であるとの回答が4.7％あったなど、総合的にみてスギ花粉症の「発見」以前に患者に接していた医師は回答者の4分の1に達したとの調査がある。さらに、高齢の患者を調べたところ、戦前の1940年以前に発症したとみられる患者もいた。

1935年と1939年には空中花粉の測定が行われ、空中花粉数は少なくないが花粉症の原因となる花粉はきわめて少ないと報告された。戦後、進駐軍の軍医により調査がなされ、気候風土などの関係により、日本でのブタクサおよびイネ科の花粉はアレルゲンとして重要ではないと結論した報告が1948年になされた。これらにより、日本における花粉症の研究および患者の発見・報告等が遅れたという指摘がある（ちなみに、1939年の米国帰国者の症例報告では、当地において「バラヒーバー」と診断されたと記録されている。前述の「バラ熱」のことである）。

引用『ウィキペディア（Wikipedia)
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         <pubDate>Mon, 26 Nov 2007 19:43:33 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>アイボリー色の起源</title>
         <description><![CDATA[多様に利用されていますね。どのような仕組みなのか大変興味があります。

アイボリー（ivory）は、色の一つ。 淡く黄色がかったやや灰味の白色。 クリーム色をさらに薄くしたような色である。 アイボリーは象牙を意味する語で、象の門歯（切歯）のような色合いであることからこう呼ばれる。 アイボリーホワイト（ivory white）ともいう。 元来は、アイボリーは象の門歯そのものの灰色味を帯びた色、アイボリーホワイトはそれを加工するために研磨した黄色味の白色であったが、現在ではほぼ区別なく用いられると考えてよい。

西洋では象牙は古来から重要な工芸材料あるいは建築材料であり、アイボリーの色名は古く1385年頃から見られる。 加工のしやすさや仕上がりの美しさなどから、日本においても高級材料として珍重されてきた。 現在では象牙の乱獲が規制されているため、象牙そのものが材料として用いられることはほとんどないが、 アイボリーの色合いは暖かく落ち着いた高級感を演出する色として、様々な場面で用いられている。

日本では、近代になって象牙色（ぞうげいろ）という語も使われるようになった。 これは伝統的な日本語の色名というよりは、英文学に登場する色の名前の訳語として生まれた名前である。日本古来の伝統色のなかでも練色に近い色調で、純白よりもいっそう日本人の生活域によく馴染む。象牙色という表現は、翻訳文学に登場する際はエナメルや陶器などの色の形容のほかに北部ヨーロッパのコーカソイド（特にゲルマン人種）の肌の形容に使われる例もある。



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         <pubDate>Wed, 31 Oct 2007 19:35:09 +0900</pubDate>
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         <title>函館市って素晴らしいところですよね</title>
         <description>函館市（はこだてし）は、北海道の南部に位置する市。北海道内では旭川市に次ぐ第３の人口を有する。漁業（港湾）と観光の街。函館山からの夜景が美しく津軽海峡に浮かぶ漁り火（いさりび）がそれに花を添える。中核市に指定されている。

道内では比較的温暖な気候で温帯に属し、陸・海・空の交通の要衝として、また、道南地方の行政・経済・文化の中心として発展した。 平成16年（2004年）12月1日、戸井町・恵山町・椴法華村・南茅部町（いずれも当時）が函館市に編入合併した。

幕末の開港以来、港の発展とともに歩んできた街であり、それに呼応して函館山の周辺から亀田半島方面に向かって市街地が拡がってきた。旧亀田市との合併などはこの流れを受けてのものであり、大野平野を抱える七飯町や北斗市の人口増加にも影響を与えてきた。これらを裏付けるように街の盛り場も十字街地区から大門地区へ、さらに五稜郭地区、昭和・美原地区へと変遷している。

明治の開拓使時代には出張所や支庁が置かれた。その後それらが廃止され北海道庁が設立されるまでのわずかな期間には、函館県の県庁所在地でもあった。このような経緯で道南地方の中心地としての礎が築かれ、今日では主だった国の出先機関や北海道の出先機関である渡島支庁などの行政機関が一通り所在している。教育においては旧制中学校や高等女学校、実業学校という中等教育学校や師範学校が明治時代に相次いで設立され、それらの後身校や新学制以降の設立校が今日まで所在している。医療においても幕末に設立された医学所に端を発する市立病院や他の総合病院など多数が所在している。

地理的に本州に最も近い港町であるため明治時代から海運は発達し、北海道と本州との連絡としてかつては青函連絡船が、そして今なお定期フェリーが青森との間に就航しており物流の結節点となっている。道都である札幌との間の陸上交通として、鉄道では函館本線（通称：山線）が、道路では国道がともに明治時代に全通し、以降は室蘭・千歳経由の路線（通称：海線）の設置や車両の改良、道路の舗装や拡幅工事などが進められ、時間距離は短縮してきている。近年は札幌側から高速道路が着々と延伸されてきており、一般国道との二重路線化がなされようとしている。空港も昭和中期に開港して以来、滑走路の延長やターミナルの整備が進められ、ジャンボジェット機などによる定期便やチャーター便の就航により国内はのみならず、近年は台湾など国外からの観光客の入れ込みが増えている。また将来的には隣接する北斗市までの北海道新幹線の延伸開業が決定しており、青函トンネル前後の区間で工事が行われている。

高度経済成長期には地場産業の要である造船とその関連産業が大いに賑わい活気に溢れていたが、オイルショックを境にそれらは一気に冷え込み街に暗い影を落とした。同様にかつては北洋漁業の基地としても栄えており漁船団の一斉出漁なども風物詩として見られたが、ロシア（当時はソ連）の200海里経済水域の設定以降はその姿が消えてしまった。青函連絡船が出港・入港時に鳴り響かせていた汽笛の音も廃止とともに回数は激減し、今では記念館として係留されている摩周丸が12時と17時に鳴らすだけの静かな港になった。バブル経済の崩壊後は、以前より街中の空き家や空きビル、空き地（駐車場）などが目立つようになっている。

経済の悪化に対処するべく企業誘致を進めるとともに、20世紀末からは情報系大学の設立による「IT」産業の育成や「国際水産・海洋都市構想」に基づく試みなど新たな地域発展に向けての取り組みが行われている。

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         <pubDate>Thu, 11 Oct 2007 11:55:17 +0900</pubDate>
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